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2021/01/07
虎屋の羊羹

都内からほど近い 赤坂にある
とらやの歴史
とらやは室町時代後期の京都で創業。五世紀にわたり和菓子屋を営んできました。 後陽成天皇の御在位中(1586〜1611)より、御所の御用を勤めています。 明治2年(1869)東京遷都にともない、天皇にお供して、京都の店はそのままに東京にも進出、現在に至ります。
今をさかのぼること約500年前、室町時代の後期に京都の地で創業した和菓子の老舗が「とらや」です。
16世紀の終わりごろには、禁裏御用菓子屋として既に御所御用を勤める存在となり、以来、歴代天皇や皇族をはじめとして、徳川将軍家や歴史上に名を刻むあまたの文人たちに愛され、和菓子界のトップブランドであり続けています。
「とらや」は永きにわたり、和菓子の最高級ブランドとしてあり続けています。それは、和菓子を通じて常に時代の先端を行く文化の担い手として存在していたからにほかなりません。
「とらや」が、そんなトップブランドとしてあり続けていることを証明するのが、あまたの著名人たちに愛されてきたことを物語る数々のエピソードです。時の権力者はいうに及ばず、財閥や実業家、作家や俳優など、時代を彩った文化人たちとの逸話の数々は、それこそ枚挙にいとまがないほどです。
江戸時代にその名を高め、「綺麗(きれい)さび」と呼ばれた遠州(えんしゅう)流は、小堀遠州が三代将軍家光(いえみつ)の茶道指南役となったことから武家社会に浸透した流派です。
遠州流の中でも多くの書物を著したことで知られる遠藤元閑(げんかん)の著書『茶湯評林(ちゃのゆひょうりん)』には、茶の湯に関わる店の紹介の中で菓子屋については「虎屋近江」のみが記されていることから、当時の高名な茶人たちの間で「とらや」が高い評価を得ていたことがうかがえます。
また、黄門様として知られる水戸光圀は、東南アジアの珍しい柑橘類を栽培したり、蕎麦やうどんは自ら麺を打つなどしたほか、日本で初めてラーメンを食したともいわれるなど、大変な食通として知られています。そんな黄門様も「とらや」の菓子が大変な好みだったようで、貞享5(1688)年に霊元上皇(れいげんじょうこう)が能を催した際には、「とらや」を通じて大饅頭100個を献上したという記録が残っています。
妊活の鍼 には、都内にどうぞ遊びにお越しください
美味しい、虎屋の羊羹と 和漢ハープ、、を
豊かに おもてなし楽しみにお越しください。